ごくごく平凡な家庭に育つも、小さい頃から敏感で内向的な性格に悩まされる

私は両親、兄の4人家族で、ごくごく普通の両親のもとで育ちました。

小さい頃から引っ込み思案で、保育園では友達が遊んでいるのを窓のカーテンに隠れてみているような子でした。

その時の私は、カーテンの中が一番安心感して過ごせる場所でした。

物心ついた頃から、周りの雰囲気、相手の表情や言動等に敏感に反応してしまう子で、周囲の雰囲気が悪かったり、相手が怒っていたり、悲しんでいたりすると、自分まで暗く、悲しい気持ちになりました。

周囲の刺激から自分の心を守ろうと、周囲の人の言動や行動をじっと見ていたり、考え事をしていることが多く、やることが遅く、怒られるとすぐ泣いたり、おどおどしたりする為、いじめの対象になることもしばしばありました。

家族の転機、劣等感や不安を抱える日々

私が小学校低学年の頃に父親の仕事が遠方に変わり、年に数回しか会うことができなくなりました。

その頃から兄が体調を崩すことが多くなり、母は体調の悪い兄に付き添う日々。私は一人で過ごすことが多くなりました。

私は学校で抱えている悩みや不安なことも、兄に付き添っている母の疲れた表情をみているとなかなか言い出せませんでした。

そんな日々が続くにつれ、

「自分が我慢すれば、まわりに迷惑をかけなくて済む。自分で何とかしよう。」と考えるようになり、だんだん家庭の中で口数も減っていきました。

その頃から、

・人に迷惑をかけたらいけない

・人に悪く思われたらいけない

・周りの中で目立つ行動をしてはいけない

という自分の中で制約が生まれ、周囲では“いい子”を演じていました。

小学校高学年頃になると、集団の中にいることで急に緊張したり、胸が締め付けられ苦しくなったり、気分が悪くなったり、腹痛や頭痛を起こすこともしばしばありました。

「辛い、助けてほしい・・・」と思っても、私は周囲に助けを求めることができませんでした。

そんなことを打ち明けてしまったら、「変な奴」と思われてしまいそうで、辛さを我慢する方が気持ちは楽でした。

そんな時、決まって私の頭の中に浮かぶ言葉は、

「弱い自分はダメだ」

「他人は頑張っているのに、私は頑張れない」

「私は立派に人生を生きることができていない」

と自分を責める言葉ばかりでした。

いつも劣等感に苛まれて過ごしており、一日が終わる頃には心も身体もクタクタに疲れ果てていました。

夜寝る前になると何とも言えない不安が押し寄せてきて、毎日暗いトンネルの中を歩いているような、先が見えない不安感でいっぱいでした。

「どうしたら、この心の不安や劣等感はなくなるのだろうか?」

「誰にも打ち明けられない悩みを何とか解決したいけど、どうやって解決していいのか。」

心の仕組みに関する本を読んだり、その本の内容を自分なりに考えることは出来ましたが、実際に本に書かれていることを実行したり、行動するまでの勇気はありませんでした。

「何事も頑張れば人生は報われる」と頑張れば頑張るほど、自分が何者か分からなくなる

大学卒業後、医療・福祉機関で相談を受ける仕事に就きました。

もともと幼少期から周囲の雰囲気、言動等に敏感だったことや、学生の頃から心の仕組みについて興味を持っていたこともあり、相談の仕事とすることは性にあっており、とてもやりがいを感じるものでした。

「家族が入院して辛いときに話を聞いてもらってよかった。」

「退院後のことを相談し、一緒に行動してもらって安心した。」

相談を受けた方々から、感謝の言葉を頂くことがありました。

今まで特に何の取柄もなかった自分が、仕事で少しでも悩みに向き合い、共感したり、行動することで、悩みが解決したり、少しでも軽くなったりする方々からの言葉は嬉しく、仕事の励みになりました。

その時の私は、「頑張って仕事をすることで自分を認めてもらえた」ことが何よりも嬉しかったのです。

仕事を頑張ることで自分を肯定できることを知った私は、「何事も頑張れば人生は報われる」ことを信じ、仕事もプライベートでも頑張ることを自らに課し、何事も完璧にやることに全力を注ぎました。

全てに完璧を求め、何事も全力で頑張ることで成果が出たときは達成感や喜びに浸れます。

しかしまた頑張らないとこの達成感や喜びに浸ることができない、だから無理をしてでも頑張る・・・。

結果だけを求めていると、仕事やプライベートでもプロセスを楽しんだり、立ち止まったりしながら考えたりという事ができなくなりました。

気が付くと、全て結果を出さないと報われないという気持ちが強くなっていたのです。

「何かがおかしい」と思い、心がどんどん辛くなっていくのを感じました。

それでも私は結果を得るために頑張ることをやめられませんでした。頑張れば頑張るだけ、私はどんどん自分自身を見失い始め、全てが空回りし始めたのです。

そして気づいたときには、私自身が一体何者なのか分からなくなっていました。

悪循環を繰り返す日々、心身の不調が顕著になる

人生が空回りし始めると、何もかもが上手くいかなくなり、私の日常は負の連鎖を起こしはじめました。

・良くなるためにしたことが発端となり、その後の出来事の元凶になること。

・その場の雰囲気を良くしようと出た言葉が周りを嫌な気持ちにさせ、怒りに変わって戻ってくること。

日々きりがないほどの負の連鎖は、いつしか人生の悪循環に陥るまでにそう時間はかかりませんでした。

徐々に心が疲弊しはじめ、不眠や頭痛、倦怠感、吐き気等の症状が現れはじめ、徐々に悪化していきました。

周囲との関係も悪くなり、私は周囲に怒りや不満しかありませんでした。

そしてある日、私はどんなに頑張っても悪循環から抜け出せないことに気づきました。

いや、実は気づいていたのです。

でも気づいてしまうと、今までの自分の人生を否定されているような不安な気持ちになり、ずっと認められなかったのです。

だから、頑張ることや、完璧にやることを信じ続けていたのだと思います。

でも、その頃の私はもうそのことを取り繕う事も出来ないくらいの状況まで追い込まれていました。

その頃に感じていた私の感覚は、足が地についていないフワフワした感覚で、常に不安が付きまとうというという不安定なものでした。

そしてよく考えてみると、私は子供の頃から同じようなことで悩んでいることに気づいたのです。

私は結果や他人の評価ばかりを気にして”自分が変われたふり”をしていただけでした。

でも、そうやって取り繕っていても自分の根本的な悩みは何一つ変わっていませんでした。

これまで自分の中で積み上げてきたものが、音を立てて崩れていくのが分かりました。

その時は悲しいというより喪失感の方が強く、「どうやって前に進んでいこうか?」とまったくその手掛かりがみつからないままでした。

そのような中、ふと、ある事が頭をよぎりました。

その頃の私は、どんな困難なことも一人で解決し、乗り越えてきたと思っていたし、周囲に相談しても何も解決しないし、変わらないという思いが強くありました。

しかし、よく考えてみると、どんな時にも私の周りには家族や友人、同僚などがいてくれて支えてくれていました。

そして、私はこれまで自分がどれだけ傲慢であったのかということに気づいたのです。

「私は今まで支えてくれた人や出会った人たちに感謝できていたのだろうか?」

「自分の悩みが解決できないことを人のせいにして、あきらめていただけではないだろうか?」

その時、情けない気持ちや、申し訳ないきもちがこみあげてきました。

「こうやって自分の振り返りができたのも何か意味があるのかもしれない」

「もしこの時を逃がしたら、これから自分が心から変わることは出来ないかもしれない」

私は人生の悪循環から抜け出し、自分の心の根本的な悩みを克服していくために学んでいくことを決心しました。

自分に向き合うワークで、涙が止まらなくなる

仕事で心理学や心理療法の本などを学ぶことが多く、相談の中で取り入れている考え方、手法もありました。

「心の問題を克服できる、根本的なことをもっと深く勉強してみよう」

私は、心理学や心理療法について本格的に学び始めました。

学び始めたころに、心理療法の中で自分に向き合う場面がありました。

自分で自分に語りかけるワークでした。

私は無意識に自分に語り掛けていました。

「よく頑張ってきたね。もうそんなに頑張らなくていいよ。」

「肩の力を抜いて、自分が思うままに生きていいよ。」

「周りを気にすることないよ。これからは自分を大切にするよ。」

気づくと、涙が溢れ止まらなくなりました。

最初は何でこんなに涙が流れるのか理由がわかりませんでしたが、気持ちが落ち着いてくるにつれ理由がわかりました。

それは、ずっとこれまで自分を責め続けてきた私が、自分から一番言われたい言葉だったことに気づいたのです。

その体験をきっかけに、少しずつ自分の心が軽くなるのを実感していきました。

しかし学んだ次の日には、今までのように不安になったり、周囲を気にする自分に戻っていました。

最初は前向きになれない自分を責めたり、ダメ出しをして落ち込んでいました。

しかし日々学びを重ねていく毎に、そんな自分も受け容れられるようになっていき、自分を責めることが減っていきました。

幼少期の頃の思い出を肯定することで得た心の安定

心理療法では幼少期の自分に触れる場面があります。

これまでの私は自分の幼い頃のことをなるべく思い出さないようにしていました。

思い出す度に、「なんて弱い子なんだ」「グズでダメな子」という否定的な言葉が浮かんでいたのです。

しかしよく考えると、それは間違いではなかったかと思うのです。

小さい頃は周囲に敏感で人間関係になじめず、生きづらさを感じていましたが、その体験があったからこそ、大人になって多くの方の悩みに共感でき、向き合えて来られたのだと思います。

今まで悩まされてきた自分の特性や短所が、実は自分の可能性であり長所であったことに気づいた時、小さい頃の自分をはじめて肯定することができました。

小さい頃の自分を肯定していくことで、人生そのものが肯定されていき、心の中でずっと消えなかった“わだかまり”のようなものが自然に消えていきました。

学びを終える頃には、周囲のことを気にすることなく、自分自身にダメ出しをすることなく、自分を大切にできる考え方、行動へと変わっていました。

地に足がついた生活

今まで足が地についていないフワフワした感覚で、常に不安がつきまとう日々を送っていましたが、そのような感覚も消え、今では地に足を付けて生活を送ることができるようになりました。

地に足を付けて生活を送ることができるようになると、自分をありのまま受け容れられるようになり、周囲の目を必要以上に気にしたり、自分に対し負担を課したりすることもなくなり、不安を感じることもなくなりました。

もちろん今でも周囲では不安になること、悲しくなること、怒りたくなることなど様々なことが起きます。

しかし起きた出来事のみで自分を責めたり、出来事のみに意識を向けるのではなく、出来事への自分の捉え方や受け止め方に重きをおくようになり、感情的にならず解決をしていくことができるようになりました。

自分の心の在り方が変わってくると、今まで気づかなかった周囲の小さなことにも目を向けられ、喜んだり、感謝したりできるようになりました。

そして日々を心から大切に生きられるようになりました。

相談の仕事を通して学んだ大切なこと

医療現場では、病気やケガでもとの元気な状態に戻れなかったり、仕事に復帰できなかったりと、辛く、悲しい思いをされる患者さん、ご家族がいらっしゃいます。

私が病院でしていた仕事は、そのような患者さん、ご家族と対話を通して悩みに共感し、共に考えながら前に進む方法を一緒に考えていきます。

患者さんは辛く、悲しい現実から、不安や怒り、あきらめといった辛い感情を抱えていることが多く、その感情は簡単になくなることはありません。

しかし患者さんは必ず自分で答えを見つけて前に進んでいきます。

「人間はどんな困難なことが起きても、前に進むための力を自分で持っている」

そう感じずにはいられない”生きていく上での大切な学び”を患者さんから沢山受け取ってきました。

そして心理学・心理療法を通じて自分の心の悩みを克服することができた経験後からは、さらにその学びの大切さを実感していました。そして、そこに共通するあることに気づいたのです。

それは、「答えは必ず自分自身が持っている」という事でした。

様々なお悩み、新型コロナの影響・・・カウンセリングルームを開設

そんなとき、あることが気になり始めました。

周囲にいる人たちのメンタルダウンを度々目にするようになったのです。

・仕事と子育てで「辛い」と言ったらわがままと言われてしまう。もっと頑張ろうとしたら体調不良を起こし、病院に行くと適応障害と言われ仕事を休むことにした。

・職場の上司や先輩などとコミュニケーションがうまくいかず、いつも注意を受けることが多い。上司や先輩の前だと緊張してしまい、仕事運びが上手くいかず結局失敗し自分を責めてしまう。

・職場や子供の学校関係での人間付き合いが苦手で、集団の中に入っていくことができず、いつも孤立してしまっている。私の人と馴染めない性格が悪いのだろうか。このままでは子供に友達がいなくなる。

・毎日残業して頑張っているのに仕事が終わらない。周りは皆頑張って仕事をしている。自分の能力・力不足じゃないか。

・わが子は可愛い。でも時々育児を投げ出したくなる。そう思い自分はダメな母親なのかもしれない。

このようなお悩みを周囲で聞くたびに、「頑張っている人たちが、肩の力を抜いてゆっくり話ができたり、悩みを打ち明けられる場所を作ることは出来ないのか?」と思うようになりました。

その頃、世の中は新型コロナウイルスの影響を受け始めました。

人とあったり、交流したり、スキンシップを取ったり、人間の心にとってとても大切なことが許されない日々が続きました。

これまで経験したことのない生活に、心のバランスを崩す人も多い中、仕事や学校、子育て等で求められる結果は新型コロナ感染前と変わらない。これは頑張っている人に、さらに頑張れと言っているようなもの。

このような時だからこそ、「何か自分にできることはないか?」という思いがフツフツと湧いてくるようになりました。

「頑張っている人が、肩の荷をおろして”ほっこり”できる場所を作りたい」との思いから、

私はカウンセリングルームを開設すること決心しました。

そして今、

私は日々の相談に向き合ってきたことで得た「患者さんの生きた経験」と、自分の抱えてきた悩みを克服してきた経験を生かしカウンセリングをしています。

悩みは一人一人違います。

しかし悩みの解決の答えはその方自身が持っています。今はそのことに気づけなくても、必ず気づくことができます。

当カウンセリングルームでは、しっかり寄り添いながら、一緒にお悩みの答えや糸口を探してまいります。そしてありのままの自分を受け容れていき、あなたらしい生き方をしていくためのお手伝いをしています。